自己紹介〜中学まで〜

急にblogを始めようと思い立った。

私の人生は、自由と引替えに

とても多くの後悔を産んだ。

夜の蝶に憧れ、全てを捨てた。

気づいた時にはもう戻れない年齢と逃げたくなる現実。

たくさんの人と出会って得た物と失った物は数え切れない。

それでも生きていく、そんな私の日常である。

ミカエル

幼少期はおとなしい子だったと聞いた。

祖母に会っても、親の後ろに隠れるような恥ずかしがり屋だったそう。

従兄弟の家が近かったので、よく遊んでもらっていたのを今でも覚えている。

従兄弟のおじさんおばさんの事は苦手だった。

子供ながらに感じるものがあったのだろう。

小学校時代

あの子ハブろうよ。

そんなくだらないことを言うリーダー格の女の子がいた。

いま考えれば、よくあるいじめの始まり。

不定期で対象は変わっていったので、自分が標的にされたのは言うまでもない。

陰口、シカト、体育でのハブ、

嫌な思いはしたがやり返そうとは思えなかった。

その頃の私には、男友達が多かったからだ。

どうにか過ごせればそれでいい。

当時親が共働きで、母も忙しくしていて悩みを相談する機会もなかった。

父はとても厳しく、勉強はできて当たり前だと言われてきた。

学校で習うこと、その応用、それしかテストには出ないんだから。100点取れて当たり前。

それが父の口癖だった。

2つ離れた兄は、幼少期から父の影響で野球をしていた。

勉強も出来る方で、生徒会とかにいるタイプ。

そんな兄をもったことも、私にとっては比較対象でとても嫌だった。

成績表が出る度、親に見せる時間が設けられていた。

その後、従兄弟の家に持っていく。

なぜそんなことをしなければならなかったのか?

うちでは当たり前の事だった。

苦痛だった小学校時代を終え、中学生。

目立つタイプではなかったが、勉強は中の上。

運動もできる方だったと思う。

小学校時代に仲が良かった子は、中学受験をして別の学校へ行ってしまった。

そこそこな仲で同じ中学へ行った友達と、

そこそこな距離感で過ごす。

楽しくなくとも、過ぎてしまえばいい。

きっと毎日そんなことを考えていた。

運命が変わったのは、中学2年生。

あまり学校を好きになれずにいた私に、他校の友達ができた。

親が勧めた学習塾で出会った、茶髪の女の子。

第一声は、お前どこ中?

知り合いがいないというだけで、秘かに強気だった私はガンを飛ばした。

この時、初めてヤンキーの仲間になったのだ。

学校に行かなくなり、友達の家に泊まり、髪を染めた。

化粧を覚えて、香水もつけた。

親の動揺は凄かった。

捜索願いを出され、たまに着替えを取りに帰る私を必死に止めた。

それでも逃げるように家を飛び出した。

度重なる補導で、夜中に警察から呼び出される両親と、呆れて何も言わない兄。

どうしてこうなったんだろう。

ずっとおとなしく過ごしていた娘が、変わり果てたことに頭を抱える親。

厳しくされた反動だったんだと思う。

自由で楽しそうな当時の仲間を見て、自由に憧れた。

好きなことをしたい。

ただその一心で、遊び回った。

中学3年生になる前のこと。

異例の転校。

つるんでいた子と同じ学校へ移った。

もちろんほぼ通わずじまいで、午後起き夜遊び中学生を続けていた。

周りが高校受験だった頃、担任から言われたのは

内申書が出せません。

卒業式にも出せません。

もう笑うしか無かったし、ですよね。

って感じだった。

高校に行く気もなければ、行ける気もしない。

親が面接や軽い筆記で行ける高校を探してきた。

なんとなく、受けるだけ受けた。

染めた髪はスプレーで黒くして、無愛想なまま。

選択肢は狭かったし、行く意味がわからなかった。

将来の夢なんてない。

ただ気の向くまま、遊びたいだけ遊んでた私には将来設計なんて考えてすらなかった。